アルスとマネキン

アルスのはじまり

アルスの歴史はマネキンづくりからはじまりました。1954年、印刷会社を経営していた創業者の伊藤集が、彫刻家・建畠覚造(たてはた かくぞう)、洋画家・高井寛二(たかい かんじ)から、造形力を活かしたマネキン業への進出を促されたのが、創業のきっかけといわれています。アルスは創業当時からアートと縁が深く、その精神は今も受け継がれています。
マネキンの歴史

マネキンの発祥

日本でのマネキンづくりの発祥は、精密機器や医療機器などの製造で有名な島津製作所です。島津製作所は戦前から人体模型などを扱っており、そのノウハウを活かし洋風マネキンの手法を取り入れた「島津マネキン」を1925(大正14)年に設立しました。後にアトリエが「七彩工芸」、製作所が「ヤマトマネキン」、販売が「吉忠マネキン」、東京代理店が「モードセンター」に分かれています。

昭和30年頃のマネキン事情

それまでの女性の洋服は、家庭着のセーター、ブラウス、制服程度しかなく、洋装店で仕立てるか手編みなどが主流でした。戦後、手動家庭用編物機が販売されるようになると洋裁学校が流行し、百貨店では毛糸や生地の売場が主力を占めるなど、女性がファッションに目覚めた時代でした。

マネキン設置の様子
マネキン設置の様子(年代不詳)

1955年~1959年(昭和30年頃)に百貨店でイージーオーダー売場が出現すると、洋装のイメージ見本となるマネキンの需要が一気に高まりました。

マネキンづくりの会社としては後発だったアルスは、他社にはない造形美やアイディア、新技術の導入を積極的に行い、イージーオーダー売場の拡大にともないディスプレイ器具の開発を行いました。1960年代のマネキン全盛期には、洋品の大量生産化にともなう既製服の流通に合わせ、狭いスペースで商品数を多く見せるための器具・什器を先駆けて開発し、以後の発展につながりました。

下の画像は1960年代に制作したアルスのディスプレイ器具のカタログです。腕の部分が可動するものや素材に藤(ラタン)を利用したものなどがあります。また、創業が印刷会社に由来することもあり、撮影や印刷技術を駆使したカタログに仕上がっています。

アルスのカタログ01
アルスのカタログ

時代を反映したディスプレイ

独自のアプローチで店舗ディスプレイ器具を開発・販売していたアルスは、ハンガーラックなどの器具を中心にシェアを拡大していきました。造形技術を活かした商品開発をしていくとともに、什器の輸入やレンタルなども行うようになっていきました。

下の画像は1970~80年代のアルスのカタログの画像です。カプセル型の試着室はSF映画に出てくるタイムマシーンか宇宙船の救命ポッドのようです。「2001年宇宙の旅」、「猿の惑星」、「惑星ソラリス」などが公開された時期でもあります。実際に使われたかどうかはわかりませんが、入口の上下部分の曲線にこだわりを感じます。

右下の遊具のような陳列棚もかなり個性的です。80年代に流行ったビビットカラーと光沢のある未来的デザインが時代を感じさせます。FRP素材(繊維強化プラスチック)と思われ、人が座れるほどの強度があったようです。画像を見る限り、ほとんど洋服は置けない気がします。

どちらも機能的ではありませんが、時代を色濃く反映しています。

カプセル型のフィッティングルーム
カタログより「オーロラ」

現在のアルスは、商業施設、店舗などの空間づくりが主な事業ですが、過去から続く造形技術をいかした商品開発を行っています。

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